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Orie_Suzuki3 (c)杉原修.jpg

​鈴木織衛先生から

還暦コンサートに寄せて


北オケを初めて指揮したのは確か 25か6の時だったと思うので、 かれこれもう何十年か経ってしまったのだけれど 、本質的なところではあまりその頃と私の内面は変わっていないと思っていた。 音楽家というのは一つの目標に向かってがむしゃらに進んでいくものだし 、次々に 演奏会をこなしていくうちに自然に時間が経っていったからだ。 だから今回、学生の時は頼りなかった北オケメンバーの卒業生たちが、貫禄をつけ立派になって 、僕の 還暦コンサートをやってくれると言った時に、そんなに歳をとって、自分が変わったんだなということに唐突に気付いたのだ。 もちろんそんなことを言ってくれた彼らにすごく感激したし 、感謝もしたけれど 、それよりも、時計が急に進んだことにびっくりしたという方が 先に立った。
アルヘリッチがシューマンのコンチェルトを弾いたピアニストは音楽家としての人生が変わると書かれた記事をどこかで読んだときに、いつかこの曲を弾いてみたいと思った。指揮したことは何度もあるけれど、それだけではアルヘリッチの言葉の真意がよく分からなかったからだ。
シューマンという作曲家は1つの素材を使い、いくつもの全く正体の違う音楽を紡ぎ出す天才だ。(謝肉祭op.9を見れば一目瞭然だろう)このコンチェルトの1楽章も3つの音の下降とそれに反発する様な上行音形でできたテーマでできた様々な音楽が、アラベスクのように次々に浮かんでは消えていく。この曲を演奏する時には、まるであちこちに飛んでいく鳥たちを必死で捕まえなければならない様な感覚になるのだ。
シューマンは晩年精神を病み、自分の世界に閉じ籠ったという。オーケストラを巻き込んで、彼のナイトメアーに付き合うのも、また一興なのではないだろうか?さて、どうなることか。
                                   
         

                        鈴木織衛

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